『画本東都遊』より「[紺屋の図]」(えほんあずまあそび こうやのず)
浅草菴(あさくさあん)編 葛飾北斎(かつしかほくさい)画 享和2(1802)序刊 東京誌料 025-25

 江戸時代を代表する絵師・葛飾北斎が描いた紺屋の風景です。紺屋はもともと「紺掻き」という藍染専門の職人を指す言葉でしたが、江戸時代になると染物屋を紺屋と呼ぶようになりました。


 現在のJR神田駅の近くに神田紺屋町という地名が残っています。江戸時代、このあたりは染め物屋が軒を連ねていました。
 紺屋町という町名は、かつて城下町であった地域ならば、よく見る町名です。江戸時代の城下町は職業によって住む場所が決められていたことが多かったためです。紺屋、つまり染物屋を営む人が多かった背景には、木綿の普及があったことは言うまでもありません。
 全国にあった紺屋町ですが、神田紺屋町は特別な存在で、流行の発信地でもありました。この町で染められた手拭いや浴衣は、江戸っ子たちにもてはやされ、なかには紺屋町以外で染めたものを「場違い」といって敬遠する人まで現れたほどと言われています。物干し台などに干されてたなびく生地の姿もまた江戸の風物詩の一つでした。

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