縞揃女弁慶 [安宅の松](しまぞろいおんなべんけい あたかのまつ)
歌川国芳(うたがわくによし)画 天保15年(1844)刊 東京誌料 K662-20-9

 江戸で一番贅沢なすしとして有名な深川安宅六軒堀(江東区新大橋あたり)にあった「松ヶ鮨」を描いた作品です。握りずしをねだる子供の愛らしい姿が描かれています。


 握りずしが誕生したのは文政年間(1818~1830)頃のことで、創案者は、両国の「与兵衛鮨」の華屋与兵衛、またはこの絵に描かれている安宅の「松ヶ鮨」の堺屋松五郎と言われています。とくに堺屋松五郎が作ったすしは文政期以降、大人気を博し、進物用として利用された高級ずしでした。
 もともとすしは保存のために自然発酵させた馴れずしが始まりですが、江戸中期になると米に酢を加えて味をつけた「早ずし」が、そして、江戸後期に握りずしが登場します。江戸では目の前の海から獲れる新鮮な魚貝類を煮付け、握った酢飯にのせて食べていました。
 握りずしはその後、多くの江戸っ子に愛され広まったこともあり、それまで主流であった馴れずしは食べられることが少なくなったようです。

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