新版御府内流行名物案内双六(しんぱんごふないりゅうこうめいぶつあんないすごろく)
歌川芳艶(うたがわよしつや)(初代)画 嘉永年間(1848~1854)頃 東京誌料 804-S4

 日本橋朝市を振出しとして、山王御祭礼で上がる絵双六です。双六の形式を取りながら当時江戸で流行していた名物を描いています。食べ物や飲食店の名前も数多く見ることができます。


 この絵双六には料理屋・蕎麦・蒲焼・すし・菓子屋のほか天ぷら屋の名前も見ることができます。天ぷらの起源は諸説ありますが、江戸時代後期に書かれた『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』という随筆には、文化年間(1804~1817)より少し前の時期に日本橋に屋台を構えた吉兵衛が、新鮮な魚を油で揚げて売っていたとあり、19世紀頃には庶民の間で広く食されるようになっていたようです。
 絵双六には「すわ町 金ぷら」という文字、そして黄色い天ぷらの絵が書かれています。「金ぷら」とは卵黄を加えた小麦粉の衣をつけた天ぷら(衣に蕎麦粉を使った天ぷらを指すことも)のことです。高価な卵を使うことによって屋台の天ぷらとは一線を画したと言われ、諏訪町(台東区駒形あたり)にあった「金麩羅屋」は、その「金ぷら」を出すお店として繁盛していました。
 作者・芳艶は武者絵を得意とした国芳の門人で、幕末に活躍した浮世絵師です。

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