寛永度絵図大奥(かんえいどえずおおおく)(重要文化財「江戸城造営関係資料」)
甲良豊前(こうらぶぜん)控 [万治度] 写 東京誌料 6181-6

 本丸大奥を描いた絵図です。この資料には「寛永度絵図大奥」と題された付箋がつけられていますが、これまでの諸研究により、実際には明暦の大火により焼失した後に再建された万治度の江戸城大奥の図面とされています。


 徳川家康の時代から城主とその家族の私的な生活空間である「奥」のような場所が江戸城内部にあったようです。しかし二代将軍・秀忠の時代、元和4年(1618)に「大奥法度」と呼ばれる法令が出されていることから、本丸の内部が将軍が政務を司る「表」、将軍が生活する「中奥」、そして将軍の子女や正室たちが生活する「大奥」に区分されたのはそれ以降のことと考えられています。
 この図によると、この時期、大奥は、将軍奥泊まりの際の寝所や御台所の居室、奥女中の詰所がある「御殿向」、奥女中の住居である「長局向」、広敷役人の詰所がある「広敷向」の三つの区域によって構成されていたことがわかります。広敷役人とは、大奥勤務の男子役人のことで、大奥内部の事務処理のほか、警備・監察にあたっていました。

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