東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図(とうきょうやつやましたかいがんじょうきしゃてつどうのず)
歌川広重(うたがわひろしげ)(三代)画 明治4年(1871)頃 東京誌料 723-C9

 八ツ山下とは高輪八ツ山のことで、現在の品川駅あたりを言いました。画面右手には、東海道に架けられた日本初の跨線橋・八ツ山橋のほか、洋服姿の外国人、普及し始めたばかりの人力車なども描かれ、当時の様子を知ることができます。


 当時の高輪海岸は遠浅であったため、この海を埋め立てて線路を敷く計画が挙がったのは、明治2年(1869)のことです。当然この埋め立て工事には反対の声も上がりました。高輪や品川の海で漁業を行っていた人たちや東海道筋で商売を行っていた人たちです。
 このあたりは江戸時代から漁業や海苔の生産の盛んな場所でした。また八ツ山付近も魚屋や茶屋が立ち並ぶ賑やかな街道であったため、明治政府は彼らに金銭的補償などを与え、ようやく線路が敷設されました。鉄道の開通は地域の人々にも様々な問題を引き起こしたのです。
 この絵には、刊行年代を明確にする改印はありませんが、画面左端に明治5年(1872)2月の大火で焼失した築地ホテル館が見えているほか、レールのない所を玩具のような四角い箱型の蒸気機関車が走っていることから、明治5年以前に描かれた作品と思われます。

印刷する