神田上水々元絵図(かんだじょうすいみずもとえず)
  東京誌料 760-26

 日本において初めて敷設された上水道である神田上水の水路を描いた絵図です。後に設けられた玉川上水とともに江戸の町の人々の暮らしを支える大切な水を確保していました。


 江戸のまちづくりの過程で家康が苦心したのは飲み水の確保だと言われています。神田上水が開設された時期は天正とも寛永ともいわれ、定かではありません。
 神田上水は井の頭池を主水源とし、善福寺池・妙正寺池の水流をも集め、小石川の関口大洗堰に至ります。そこで左右に分けられ、左側は上水に使う水として水戸藩の江戸上屋敷から御茶ノ水を通り、神田川を掛樋(かけひ)で渡して江戸城内に入りました。右側は町方へ流していました。
 本図は、井の頭池(三鷹市)から途中の橋名などを記入し、関口大洗堰(文京区)までを描き、最後に水道に関する高札を載せてあります。

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