東都名所 梅屋舗之図(とうとめいしょ うめやしきのず)
歌川芳員(うたがわよしかず)画 嘉永6年(1853)刊 東京誌料 0531-C29

 亀戸(江東区)の梅屋敷は、江戸時代、江戸近郊の行楽地、とくに梅の名所として、多くの人が訪れた場所です。茶屋も設けられ、大勢の人が梅見を楽しんでいました。


 梅屋敷は、もともと本所(墨田区)の商人、伊勢屋彦右衛門の別荘で清香庵と称していた庭園に梅が多く植えられていたところから、「梅屋敷」と呼ばれるようになりました。なかでも水戸光圀が命名したと伝えられる「臥龍梅(がりょうばい)」がたいへん有名でした。
 明治期になっても、明治天皇の行幸の場となるなど、この場所は梅見客であふれていました。残念ながら明治43年(1910)に起こった隅田川の大洪水によって、亀戸町、大島町、砂村など沿岸地域は浸水状態となり、梅屋敷もすべての梅の樹が枯れ、廃園となってしまいました。

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