『画本東都遊』より「浅草祭」(えほんあずまあそび [あさくさまつり])
浅草菴(あさくさあん)編 葛飾北斎(かつしかほくさい)画 享和2年(1802)刊 東京誌料 025-25

 現在、5月に行われている浅草神社の祭礼・三社祭(浅草祭)ですが、江戸時代は3月17日、18日の両日に行われ、丑・卯・巳・未・酉・亥年の1年おきに本祭が行われました。


 浅草神社は「三社様」とも呼ばれますが、三人の神様をお祀りしていることに由来します。そのため祭礼も三社祭という呼称が一般化していますが、江戸時代は本祭前夜に神輿を観音本堂の外に安置するなど、浅草寺と浅草神社が一体となったお祭りで、観音祭とも、浅草祭とも呼ばれていました。
 氏子は観音様の縁日にちなみ十八ヶ町。このうち材木・花川戸・聖天を宮元三ヶ町と呼び、すべてを総称して浅草郷、もしくは千束郷(せんぞくごう)とも言いました。祭礼は現在のような神輿(みこし)かつぎが中心ではなく山車(だし)が中心で、十八ヶ町のほか蔵前筋や浅草橋の各町も山車を繰り出し、行列の勢いと絢爛さを競いあったようです。

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