江戸自慢三十六興 日本橋初鰹(えどじまんさんじゅうろっきょう にほんばしはつがつお)
歌川豊国(うたがわとよくに)(三代)、歌川広重(うたがわひろしげ)(二代)画 元治元年(1864)刊 東京誌料 0421-C2

 「女房を質に入れても初鰹」と川柳にも謳われるほど、江戸っ子がこよなく愛した初鰹と江戸の町の象徴・日本橋が組み合わさった、まさに「江戸自慢」を描いた作品です。


 江戸の人々は「初物」、なかでも初鰹が大好きでした。とくに明和・安永(1764~1781)頃から文化・文政(1804~1830)頃になると、熱狂的な初鰹ブームが巻き起こり、驚くような高値がつくようになります。
 江戸期を代表する文人・大田南畝(おおたなんぽ、号・蜀山人(しょくさんじん))が書き残した記録によると、文化9年(1812)3月に日本橋魚河岸へ揚がった初鰹17本のうち、6本は将軍家へ、3本は約2両で有名料亭・八百善(やおぜん)へ、8本は魚屋へわたり、その中の1本を歌舞伎役者・中村歌右衛門が3両で買ったとあります。
 1両の価値を現在の値段に換算するのはたいへん難しいのですが、米価で換算した場合、江戸時代中後期頃で、3~5万円ほどと言われています。いかに初鰹に高値がつけられていたかがわかるでしょう。

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