江戸自慢三十六興 鉄砲洲いなり富士詣(えどじまんさんじゅうろっきょう てっぽうずいなりふじもうで)
歌川豊国(うたがわとよくに)(三代)、歌川広重(うたがわひろしげ)(二代)画 元治元年(1864)刊 東京誌料 3383-C3

 鉄砲洲稲荷神社(中央区湊)の境内には富士山の溶岩を取り寄せて作った富士塚(小さな富士山)がありました。「富士詣(ふじもうで)」と称して多くの人々が、このミニチュアの富士山を参詣に訪れました。


 6月1日は富士山のお山開きで、江戸の人々は家々の軒下で線香を焚いて富士を遥拝しました。富士山を神聖視する考え方は古くからありましたが、江戸時代になると「富士講」と呼ばれる富士山を信仰する人々の集まりが各地で組織され、富士山に参詣するという「富士詣」が流行するようになりました。さらに江戸の町には富士山に行かずとも富士詣ができるようにと、あちこちに人工の富士山が作られるようになったのです。
 この絵にある鉄砲洲稲荷もその一つで、駒込、浅草、四谷、深川などと並んで有名でした。絵では後ろに見える人工の富士の中腹に日傘を差している人物が見えます。近景の少女が手にしているのは麦藁細工の蛇で、宝永(1704~1711)頃に厄病よけとして駒込の富士塚で売られ、その後、各地の「お富士さん」の祭礼に売られるようになりました。

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