『江戸名所図会 4巻』より「中野塔(なかののとう)
斎藤長秋(さいとうちょうしゅう)編 長谷川雪旦(はせがわせったん)画 天保5年(1834)~天保7年(1836)刊 加賀文庫 加256

 中野の塔は寛永年間(1624~1643)に飯塚惣兵衛が寄進した三重の塔で、上野の寛永寺にあった五重の塔と並び称される江戸名所の一つでした。
宝仙寺(中野区中央)の境内にありましたが、昭和20年(1945)の空襲により焼失してしまいました。


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