『江戸名所図会 1巻』より「護持院原(ごじいんがはら)
斎藤長秋(さいとうちょうしゅう)編 長谷川雪旦(はせがわせったん)画 天保5~7年(1834~1836)刊 加賀文庫 加256

 護持院原は神田橋と一ツ橋の間の御堀の外に広がる原でした。本書には「御溝(おんほり)の外の芝生を云ふ」と書かれており、芝生の広がる原であったことがわかります。享保2年(1717)に護持院が焼失した後、この地での再建は許可されず、空き地となったものです。景観もよく、夏秋は庶民が遊ぶことを許され、冬春は将軍が遊猟をしました。


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