『江戸名所図会 1巻』より「采女か原(うねめがはら)」
斎藤長秋(さいとうちょうしゅう)編 長谷川雪旦(はせがわせったん)画 天保5~7年(1834~1836)刊 加賀文庫256
現在の中央区銀座五丁目のあたりです。享保(きょうほう)9年(1724)まで、今治藩主(いまばりはんしゅ)松平采女正定基(まつだいらうねめのしょうさだもと)の屋敷があったことにちなみ、つけられた名前です。大火により屋敷が麹町(こうじまち)に移った後、空き地となっていたところに馬場がつくられ、周囲は歓楽地として発展しました。小屋掛け、葭簀(よしず)張りの小屋、講釈師・浄瑠璃・水茶屋(みずぢゃや)・楊弓場(ようきゅうば)などが軒をならべる繁盛ぶりであったということです。