『江戸名所図会 3巻』より「溜池(ためいけ)
斎藤長秋(さいとうちょうしゅう)編 長谷川雪旦(はせがわせったん)画 天保5~7年(1834~1836)刊 加賀文庫256

 赤坂にあった溜池は、慶長(けいちょう)11年(1606)に大名の浅野行長(あさのゆきなが)が山王の麓(ふもと)に造成した人工湖でした。東は虎の門、新橋、汐留(しおどめ)、西は赤坂御門まで続く広々とした大沼であったということです。神田上水や玉川上水がまだ敷設(ふせつ)されていなかった頃は、この池の水を上水として供給していました。早くも承応(じょうおう)年間(1652~1655)から埋め立てが始まり、明治8~9年頃から水を落として干潟(ひがた)とするなどの工事が進みました。明治43年に工事が終了、溜池は細流(さいりゅう)をとどめるだけとなりました。


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