『江戸名所図会 3巻』より「広尾原(ひろおのはら)
斎藤長秋(さいとうちょうしゅう)編 長谷川雪旦(はせがわせったん)画 天保5~7年(1834~1836)刊 加賀文庫256

 江戸時代、下渋谷・下豊沢(しもとよさわ)という二つの村にまたがっていた野原で、百姓地の中に大名の下屋敷や旗本屋敷が点在していました。元禄12年(1699)の検地の頃に広尾と改称されたそうです。御鷹場でもありました。広尾原を流れていた渋谷川は、海に注ぐまでに、古川・新堀川・赤羽川・金杉川、と、地名に合わせて名前が変わっていきました。


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