『江戸名所図会 4巻』より「牛込 神楽坂(うしごめ かぐらざか)
斎藤長秋(さいとうちょうしゅう)編 長谷川雪旦(はせがわせったん)画 天保5~7年(1834~1836)刊 加賀文庫256

 江戸時代には武家屋敷と寺社地の多い土地柄でした。坂の上にある毘沙門堂(びしゃもんどう)は、毎月の寅(とら)の日に多くの参詣客が訪れ、植木市が立つなどして賑わいました。神楽坂という名前の起こりについては、市ヶ谷八幡の旅所(たびしょ)(祭礼のときの分祭所(ぶんさいしょ))があって、神楽が聞こえたため、あるいは高田穴八幡社の旅所があって神楽が奏されたため、ほか、諸説があります。


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