『江戸名所図会 7巻』より「三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)
斎藤長秋(さいとうちょうしゅう)編 長谷川雪旦(はせがわせったん)画 天保5~7年(1834~1836)刊 加賀文庫256

 深川の三十三間堂は、京都の三十三間堂を模したもので、最初は浅草にありました。元禄11年に火災にあい、同14年に深川に移されました。明治5年(1872)に撤去されています。境内は弓術の練習、射的場(しゃてきば)として使用され、本堂では正保(しょうほう)3年(1646)から嘉永5年(1852)まで通し矢が行われました。通し矢の最高記録は、元禄時代の、石川備中守(びっちゅうのかみ)の臣で梶川勝蔵(かじかわかつぞう)の1万11本で、当時12歳の少年だったということです。明治5年(1872)に撤去されました。


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