『江戸名所図会 3巻』より「霞が関(かすみがせき)
斎藤長秋(さいとうちょうしゅう)編 長谷川雪旦(はせがわせったん)画 天保5~7年(1834~1836)刊 加賀文庫256

 「霞が関」という名称は、江戸時代以前、ここに「霞が関」と云う奥州街道の関があったことにちなんでいます。現在、霞が関の両側には外務省と総務省があります。そして、この『江戸名所図会』の書かれた時代、霞が関の両側には、福岡藩黒田家と広島藩浅野家の大名屋敷がありました。


印刷する