江戸高名會亭盡 白山傾城ヶ窪(えどこうめいかいていずくし はくさんけいせいがくぼ)
歌川広重(うたがわひろしげ)(初代)画 天保9年(1838)刊 東京誌料 0451-C23
江戸の有名料亭を描いた30枚揃の内の1枚です。白山傾城ヶ窪は又鶏声ヶ窪とも書き、日本橋から巣鴨を経て板橋宿に至る中山道沿いにあり、近くには白山大権現がありました。
「即席御料理」と書いた腰高障子と「万金」「まんきん」とのれんにある料亭の前に、道中姿の人々がたむろしており、客の応対で忙しい女たちも描かれています。画面右に高札場が見え、旅の人馬の往来で賑わう街道沿いらしい雰囲気が感じられます。この店の名物は厚焼玉子だったらしいことが、「卵の厚焼大鉢へ数万金 扇松」という扇形枠の「狂句合」の賛によってわかります。「万金」の名は、文久元年(1861)の料理屋番付にも見え、街道筋の料理屋として長く繁栄したようです。