東京名所銀座通朝野新聞社盛大之真図(とうきょうめいしょぎんざどおりちょうやしんぶんしゃせいだいのしんず)
歌川広重(うたがわひろしげ)(三代)画 明治12年(1879)刊 東京誌料 008-C9
銀座の朝野新聞社を描いた錦絵です。朝野新聞は明治7年(1874)に前身の『公文通誌(こうぶんつうし)』を改題して発行された東京の日刊紙です。
当代一流の文人であった成島柳北(なるしまりゅうほく)が社長兼主筆を務め、政界や社会を風刺した洒脱な文章で人気となりました。後に末広鉄腸(すえひろてっちょう)が加わり論説を担当しました。民権派の政論新聞中随一の発行部数を誇り、最盛期には2万部近くまで部数を伸ばしました。明治9年(1876)に社屋を銀座尾張町(現・和光)に移転し、明治26年(1893)まで発行されていました。右図端で人力車に乗るのが成島柳北(「濹上漁史」)、中央で背を向ける洋装姿の男が末広鉄腸(「末広重恭」)です。
当時の各新聞社は、明治7、8年(1874~1875)頃から次第に銀座に集まり、一頃は銀座4丁目角に各社が陣取っていました。東京の最も立派な煉瓦通りは新聞街とも言われました。