鎮西八郎為朝 疱瘡神(ちんぜいはちろうためとも ほうそうがみ)
歌川国芳(うたがわくによし)画 東京誌料 778-C18
「疱瘡絵」といわれる疱瘡除けの絵です。疱瘡絵は、疱瘡にかかった子供へのお見舞いに贈られ、回復後は焼き捨てたり川に流したりしました。
この絵には疱瘡神や疱瘡神を退治したとされる鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)が描かれています。
「疱瘡絵」といわれる疱瘡除けの絵です。疱瘡は日本人を最も苦しめた疫病であり、ほとんどの人が幼年期にかかりました。あばたが残ったり失明したりすることもあり、「見目定めの病」と言われました。有効な治療方法がなく、人々は神頼みやまじないにより病に立ち向かいました。中でも病魔である疱瘡神は赤色を嫌う、もしくは好むという信仰が各地にあり、「赤絵」とも呼ばれる「疱瘡絵」を身近においたり、病気の子供を赤く塗られた玩具で遊ばせるということが行われました。疱瘡絵は、疱瘡にかかった子供へのお見舞いとして贈られ、無事に回復した後は焼き捨てたり川に流したりしました。
この絵には、疱瘡神と疱瘡神に付き従う病児に与えられる張り子の玩具、鎮西八郎為朝が描かれています。鎮西八郎為朝は源為朝のことです。保元の乱で八丈島に流された為朝が、疱瘡神を退治したため八丈島に疱瘡が流行しなかったという伝説により、鎮西八郎為朝が疱瘡絵に描かれるようになりました。