痲疹退治(はしかたいじ)
歌川芳藤(うたがわよしふじ)画 文久2年(1862)刊 東京誌料 778-C12
江戸時代、麻疹の流行時に江戸で数多く刊行された「はしか絵」と呼ばれる錦絵です。麻疹の禁忌や薬、麻疹を軽くするまじないなど、さまざまな情報が盛り込まれました。この絵は、麻疹神退治を擬人化したもので、被害にあった職業の人々が麻疹神を懲らしめています。
江戸時代、麻疹はおおよそ十数年から二十数年の間隔で流行し、中でも文久2年(1862)は全国的に大流行しました。このとき江戸で刊行された、「はしか絵」と呼ばれる錦絵が数多く残されています。「はしか絵」には、麻疹の禁忌や薬、麻疹を軽くするまじないなど、さまざまな絵とそれに関連する文字情報が盛り込まれました。この絵は、麻疹神退治を擬人化したもので、被害にあった職業の人々が麻疹神を懲らしめています。薬袋が麻疹をかばっているのは、この流行で儲かったであろう医者や薬屋を示しています。また、画面上部に悪い食物や生活習慣として、酒、風呂、灸、そばなど、良い食物として、にんじん、大根、砂糖などがあげられています。養生書や「はしか絵」などを通じて、このような麻疹に関する知識が広まりました。禁忌に関連する風呂屋や床屋などの商売が成り立たなくなる一方で、医者と薬屋が大繁盛し、麻疹に良いとされた食べ物の値段が高騰し、経済的な混乱が起こりました。