品川新台場之図 (しながわしんだいばのず)
   東京誌料 6929-5

 嘉永6年(1853)6月のペリー来航に伴い、江戸湾防備のため品川沖に御台場が造営されました。その内部の様子を描いた冊子です。


 嘉永6年(1853)6月に日本の開国を求めて、アメリカ合衆国海軍東インド艦隊司令長官ペリーが率いる4叟の艦船が浦賀に来航しました。幕府は、伊豆韮山(にらやま)代官江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)の提案を取り上げ、品川沖に江戸湾の防衛のために台場(砲台)の建築を始めました。8月には起工し、御殿山や泉岳寺の土砂や江戸湾・相模湾沿岸などの石材を用い工事は進められましたが、嘉永7年(1854)正月のペリーの再来航には間に合いませんでした。また、予定の12基(当初計画11基、後に御殿山下台場が追加)造営のうち、完成したのは6基のみでした。
 この冊子は、御台場の内部が詳しく描かれています。特に塁壁については、角度を変えて彩色された図が複数、掲載されています。また、巻末には、石積みの場面が描かれ、石の運搬や石工たちが石を積む様子などもわかります。

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