玉川上水絵図(たまがわじょうすいえず)
 作製年不明 東京誌料 760-20

 羽村の取水堰(しゅすいぜき)から江戸城内までの玉川上水の経路を記した絵図です。


 江戸の主要な上水道には、玉川上水と神田上水がありました。江戸時代初期、江戸の住民は神田上水と赤坂溜池の水を飲料水として利用していましたが、市街の発展につれて水不足をきたしたため、承応元年(1652)に玉川上水開設の計画が立てられました。神田上水は主として江戸の北部方面に配水されており、これに対して玉川上水は江戸の南部方面に配水されました。水源は多摩川で、羽村から武蔵野台地を横切り、四谷大木戸までの約43kmの水路を通し、それから先、江戸城および江戸市中へは配水管(石樋・木樋)が敷設されました。玉川上水は江戸市中へ飲料水を供給する以外に、武蔵野台地の村々に生活用水・灌漑用水としても分水され、新田開発に大きな役割を果たしました。

*画像は部分です。

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