宮城の正門、即ち俗に謂う二重橋であります。長禄元年、鎌倉管領上杉定正の家臣太田持資入道道灌が、武蔵野の荒野の中に築いた城を、後に徳川家康が居城と定めて、幕府三百年の基を開きました。当時は今の丸の内あたりが海辺だったといいますから、その眺望といひ、その要害といい、実に好適の居城だったと思はれます。
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