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新宿(にいじゅく)は水戸街道の宿場として千住宿と松戸宿の間に置かれていました。しかし参勤交代の大名たちは千住宿や松戸宿に泊まるため、本陣も脇本陣もない、小さな宿場でした。ここには中川を渡るための渡し場がありました。
夕顔観音とは、寛文8年(1668)、飯塚村(現・葛飾区水元飯塚町)の関口治左衞門が夢のお告げにより自宅のそばにあった松の根元から掘り出したという由緒を持つ観音菩薩像のことです。
飛鳥山が桜の名所となったのは八代将軍・吉宗の時代で、「享保の改革」の一環として江戸の人々の行楽地とするため、飛鳥山に桜を植樹したことから始まります。
天恩山五百羅漢寺は本所五ツ目(現・江東区大島)にあり、境内六千坪を有する大寺院でした。江戸末期、暴風雨や地震により荒廃し、現在は小さなお堂を残すのみです。
木場とは材木置場(貯木場)のことです。江戸では徳川家康の入府以来、江戸城や大名屋敷、寺社仏閣や町家の造営のため材木の需要が高く、幕府は寛永18年(1641)に材木置場を永代島に集めました。ここが木場(後に元木場)と称され、地名の由来となっています。元禄14年(1701)、市街地の拡大と材木需要のさらなる増加に伴い、木場は少し東よりの深川に移転し、9万坪もの深川木場が誕生しました。
深川の洲崎と並び潮干狩りの名所として有名なのが品川です。海辺の宿場町として繁栄した品川は、春は桜見物や潮干狩り、秋は紅葉などが一年をとおして楽しめる行楽地でもありました。
東海道品川宿は、中山道板橋宿、甲州街道内藤新宿、日光・奥州街道千住宿と並ぶ江戸四宿のひとつで、唯一海に面した宿場です。名所や魚介類の名物が多く、風光明媚な地として、四季折々に江戸市中から多くの人々が訪れていました。
金王八幡神社は寛治6年(1092)、渋谷城を築き、渋谷氏の祖となった河崎基家によって創建されたといわれています。
千駄ヶ谷観音堂は観光山聖輪寺と号した真言宗の寺院にありました。御本尊である如意輪観音像は、行基の作で「目玉の観音」と呼ばれていたそうです。江戸の寺院のなかでも千年以上の歴史のあるものは浅草寺と千駄谷観音堂だったといわれています。
渋谷宮益町よりに西へ下る坂を富士見坂と呼んでいました。ここから富士山が見えたことが名前の由来です。