8.皇居(明治宮殿)賢所・奥宮殿・表宮殿配置平面図(部分)
写図彩色 1枚 143.5×102cm 縮尺:1/600
木子文庫 木89-1-14
内裏作事方御用を務めた大工の家柄である木子家伝来の建築関係資料は、総数約29,000点にのぼる。幕末まで、木子家の活動の場は京都だったが、明治天皇大嘗祭関係の作事にともなって東京へ移り、その後明治宮殿の造営などに携わるとともに、明治期創建の主要神社の造営や東大寺・日光東照宮の保存修理工事にも関わった。
明治に入り皇居として用いられた旧江戸城西の丸御殿は、明治6年5月女官部屋からの失火により焼失した。皇居の再建事業は、洋風和風論争などの紆余曲折をへて、ようやく明治17年地鎮祭を迎え、明治21年10月竣工した。この図は、その明治宮殿の配置図のうち公的儀式に用いられた表宮殿と私的生活の場である奥宮殿など主要な建物の部分で、明治17年4月頃の図とされる。原図は淡彩色で、一部二階がある場所は、二階平面図の貼り紙が付されている。