都市・東京のスポーツの記憶
重要なお知らせ
都市・東京のスポーツの記憶
東京1964大会、東京2020大会の前史として1940年オリンピック東京大会の開催に予定されていた明治神宮外苑の競技施設などを含めて、東京のスポーツの歴史を、東京都立図書館所蔵資料に掲載された写真などでご紹介します。
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明治神宮外苑の競技施設全景
明治神宮奉賛会が大日本体育協会長などからの提案を受けて競技場の建設を決定、大正13年に完成しました。
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明治神宮外苑競技場
内務省明治神宮造営局技師の小林政一が設計。収容人員は65,000人でした。
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明治神宮外苑競技場の平面図
明治神宮外苑競技場の英文平面図。トラックの規格(メートル)がわかる。
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800m徒競走、走り高跳び、走り幅跳び
明治神宮外苑競技場での800m徒競走、女子走り高跳び、男子走り幅跳び。
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400m徒競走、ハードル競走
明治神宮外苑競技場での400m徒競走、ハードル競走。
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マスゲーム、鉄棒
明治神宮外苑競技場でのマスゲーム、鉄棒競技。
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バレーボール、アーチェリー
明治神宮外苑バレーボールコートでの女子バレーボール競技、女子アーチェリー競技。
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バスケットボール
東京YMCAホールでのバスケットボール競技と、神宮外苑のバスケットボール兼バレーボールコート。
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ラグビーとホッケー
会場は明治神宮外苑競技場。ラグビーの試合が初めてこの競技場で行われたのは、大正15年の早慶戦です。
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ボクシングとテニス
日比谷公会堂でのボクシング競技、三年町テニスコート(麹町区)でのテニス競技。
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神宮外苑野球場
明治神宮奉賛会の資金不足を東京六大学野球連盟の寄付で補って、大正15年に完成しました。収容人員は31,000人でした。
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野球ファンの血を沸す早慶戦
明治36(1903)年に始まった早慶戦は、最初から多くの観客を集めました。応援が過熱したため、不測の事態を恐れて一時中断されていましたが、大正14年に復活しました。
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芝公園運動競技場案内
芝公園の南端にあった自由広場を、簡易陸上競技場として改良したものです。昭和2年竣工。収容人員6,000人。
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明治神宮外苑水泳場
昭和5年の第9回極東選手権大会に使用できるよう、第1期工事が昭和5年、第2期工事は昭和6年に竣工しました。
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明治神宮外苑水泳場の平面図
明治神宮外苑競技場の英文平面図。トラックの規格(メートル)がわかる。
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明治神宮外苑水泳場での水泳競技
神宮外苑水泳場は収容人員13,000人、夜間競技用の照明塔6基を備え、当時としては最も完備したプールと言われていました。
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競泳
明治神宮外苑水泳場での夜間の競泳。
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水球と高飛び込み
明治神宮外苑水泳場での水球の試合と高飛び込み競技。水泳場は50メートルの競泳プールと飛込プールを備えていました。
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隅田川とボート・レース
ボート・レースは明治初期から行われていました。その会場は主に隅田川で、隅田川の水は、テームズ河に通ずと言われていました。
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両国国技館
旧両国国技館。場所は回向院の隣で、明治42年に竣工しました。辰野金吾設計。1946年まで大相撲に使用されました。
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国技館の相撲
旧両国国技館は4階まで観客席があり、収容人員は13,000人でした。本場所が年2回から年4回になったのは、昭和2年からです。