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6.猿若町芝居之略図

猿若町芝居之略図

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渓斎英泉画 中野五郎右衛門等 天保13年頃(1842)刊 大々判錦絵横1枚
東京誌料 575-C14

江戸の芝居小屋は、官許の三座が、日本橋に近い堺町に中村座、葺屋町に市村座、少し離れて木挽町に森田座があった。しかし天保の改革により、当時まだ辺鄙だった浅草聖天町(現在の台東区浅草6丁目)に強制移転が命じられた。
新たに猿若町と名付けられたその地には、天保13年中村・市村の両座及び人形浄瑠璃の薩摩座・結城座が、翌14年には森田座の控櫓河原崎座が移転、芝居茶屋などの関連施設も同時に移り、役者・芝居関係者はその周辺に住むことをになったので、ここに一大芝居町が形成された。この図は、右手三丁目部分、河原崎座の移転予定地が雲で隠されていることから、天保13年の刊行であろう。
明治になると、守田座(森田座)が新富町に、猿若座(中村座)が鳥越町に、市村座が下谷二長町に移転していき、その役割を終えた。

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