第57回 山東京伝の世界
2017年3月29日更新
特別文庫室は、江戸から明治の資料を中心に、15の文庫で約24万3千点の資料を所蔵しています。今回は、2016年に没後200年を迎えた山東京伝(さんとうきょうでん)の著作10点を、加賀文庫・特別買上文庫の資料を中心にご紹介します。
山東京伝(宝暦11年(1761)〜文化13年(1816))は、黄表紙・洒落本作家で、浮世絵師「北尾政演(まさのぶ)」としても知られています。
京伝は、本名を岩瀬醒(さむる)といい、江戸深川に生まれ、後に京橋銀座一丁目に移り住みます。若くして北尾重政(しげまさ)に入門して浮世絵を学び、安永7年(1778)18歳で黄表紙「開帳利益札遊合(かいちょうりやくのめくりあい)」に、北尾政演の名で初めて画工として名を表します。
安永9年(1780)、黄表紙「娘敵討古郷錦(むすめかたきうちこきょうのにしき)」「米饅頭始(よねまんじゅうのはじまり)」の二作品に、京伝戯作・政演画作として作者にも進出し、天明2年(1782)の「(手前勝手)御存商売物(ごぞんじのしょうばいもの)」が、当時の文壇の指導者であった大田南畝(おおたなんぽ)に認められ、花形作者となります。
また、早くから吉原などの遊郭に親しんでいた京伝は、その実体験を活かして洒落本に進出し、その第一人者となります。
その後「青楼昼之世界錦之裏(せいろうひるのせかいにしきのうら)」「娼妓絹篩(しょうぎきぬぶるい)」「仕懸文庫(しかけぶんこ)」の三作品が寛政の改革の出版物取締令に触れ、京伝は手鎖五十日の刑を受けます。
やがて読本(よみほん)の世界に進出し、「忠臣水滸伝(ちゅうしんすいこでん)」「昔話稲妻表紙(むかしがたりいなずまびょうし)」などで独自の境地を開きますが、中国文学に明るく、重厚な作品を書き上げてきた、かつての門人曲亭馬琴に次第に圧倒されるようなります。
晩年は近世初期の人物や風俗などの考証研究に没頭し、文化11年(1814)から文化12年(1815)にかけて、「骨董集(こっとうしゅう)」の上編の三巻を刊行しましたが、未完に終わっています。