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足立区千住仲町にある氷川神社の境内に鎮座しているのが関屋天満宮です。和歌にも詠まれるほど風光明媚な名所でした。付近の葦は片葉であったので、「片葉の天神」とも呼ばれました。
荒川の下流で、隅田川や浅草川よりも上流あたりを千住川と呼んでいました。千住は川越と江戸を結んだ舟運の発着中継地であり、このあたりは高瀬舟の往来で賑わいました。
西新井大師堂は、平安時代に弘法大師・空海によって建立されたとされる真言宗の寺院です。毎月21日にはご本尊である弘法大師像が開帳され、厄災によく効くということで古くから多くの参拝客を集めていました。
千住宿からちょっと離れた場所にあった耆老茶屋(じじがちゃや)と呼ばれる茶屋を描いたものです。この茶屋には光り輝く名物の茶釜があったそうです。
「六阿弥陀廻」とは、春と秋のお彼岸の期間に、熊野から流れついた霊木で造られたという6体の阿弥陀像を祀った6ヶ所の寺院を巡り極楽浄土を願うことで、江戸の人々の行楽の一つでした。
江戸の虫聞きの名所と言えば道灌山です。7月末頃の虫聞きのシーズンになると、松虫やキリギリス、鈴虫など虫の声を夜通しで楽しむために多くの人々が集まりました。
もとは「新堀」や「入堀」と書かれていたこの地域が「日暮里」と書かれ、「ひぐらしの里」と呼ばれるようになったのは江戸時代中期頃のことといわれています。花見や虫聞きを楽しむことのできる江戸名所として、錦絵や名所案内に数多く取り上げられています。
板橋宿は上宿、仲宿、平尾宿という3つの宿場の総称であり、上宿と仲宿の境目は「板橋」が架かる石神井川、仲宿と平尾宿の境目は観明寺付近にありました。
清水坂は中山道最初の難所ですが、街道筋では唯一富士山を一望できる名所でもありました。坂の下には板橋と蕨の両宿をつなぐ合の宿があり、休憩や戸田の渡しが増水で利用できない時に備えの場所として利用されていました。
江戸時代には形ばかりの草堂となっていましたが、南北朝時代には七堂伽藍を備えた大寺院であったことから、大堂と言われていたそうです。南北朝時代の鋳造とされる梵鐘と、鎌倉時代末期の制作と言われる本尊阿弥陀如来坐像を目当てに、江戸市中からも参詣客が訪れていました。