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三題噺の流行

19世紀初頭、初代三笑亭可楽(さんしょうていからく)(1777~1833)によって、寄席興行が行われます。それまで落し噺の会といえば、素人衆が、その日限りで料理屋や貸席を借りて催すものでしたが、ある程度の期間、場所を特定し、代金をとって興行する形式に進化しました。また、可楽は文化元年(1804)に、客からもらった三つの題を即座に一つの咄にまとめてオチをつける「三題噺(さんだいばなし)」を始め、好評を得ます。同じ頃、可楽の門弟であった初代林屋正蔵(はやしやしょうぞう)(1781~1842)は、怪談噺を始め、人気を博しました。正蔵の怪談は、鳴物、人形、大道具を用いた大がかりな演出に特色がありました。

春色三題噺 春廼家幾久編 一恵齋芳幾 画
百歌撰 林屋正蔵(初代)作 
五雲亭貞秀画 天保5年(1834)刊

この頃、江戸市中には75軒もの寄席がありました。19世紀中頃には100軒に達し、200名を超える落語家が存在していました。しかし、「天保の改革」(1841~1843)と呼ばれる幕政改革により、江戸市中にあった寄席は、24軒を残して取り潰しとなります。その後、「天保の改革」を推し進めた老中・水野忠邦(みずのただくに)(1794~1851)が失脚するとたちまち盛り返し、19世紀後半には、軍談(講談)の席と合わせて300軒以上になっていたといわれています。

[三題咄高座新作] 落合芳幾画  文久 3年(1863)刊

可楽によって始められた三題噺は、一時中断されましたが、幕末に再び流行します。粋狂連(すいきょうれん)と興笑連(きょうしょうれん)の二つのグループを中心に、料理茶屋などで毎月、三題噺の会が催されるようになりました。粋狂連と興笑連の作品集の一つに『粋興奇人傳(すいきょうきじんでん)』があり、幕末から明治時代にかけて活躍した河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)(1816~1893)・仮名垣魯文(かながきろぶん)(1829~1894)ら台本作者・戯作者や、初代三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)(1839~1900)らの落語家が名を連ねています。名作とされ、現在も演じられている『鰍沢(かじかざわ)』なども三題噺として創作されたものでした。この時期の三題噺は落語ばかりでなく、歌舞伎狂言や戯作にも新しい趣向を提供し、幕末・明治時代初期の文学にも多大な影響を与えました。

粋興奇人傳 假名垣魯文 、山々亭有人輯 一恵齋芳幾画
文久3年(1863)序

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