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府中本町にある妙光院と安養寺はともに貞観元年(859)に創建された寺院です。
六所宮すなわち大國魂神社例大祭は4月30日より5月6日までの間に行われます。5月3日夜行われる競馬式(こまくらべ)は古くは国司によって行われていました。
六所宮(大國魂神社)の御供田では、毎年5月6日に御田植の神事が行われていました。
蔦屋耕書堂という絵草紙屋の店先を描いた絵です。店の入り口には蔦屋重三郎の名前入りの看板が立ち、山東京伝の著作や狂歌本の宣伝が並び、店の奥には錦絵が置かれ、旅支度の武士が選んでいる姿が描かれています。
江戸時代、大森にはめまいや風邪などに効能があるとされる「和中散」という粉薬を売っている店が東海道沿いに3軒、軒を連ねていました。近江国に本家がありましたが、大森の和中散は「世に大森和中散と呼ぶ、頗(すこぶる)著名なり」と、特に有名でした。
渋谷川の上流でせき止められた水が水車小屋を廻って水車をまわしています。広尾の水車は別名「玉川水車」ともいい、渋谷地区では最も古く、また、規模は一番大きかったといわれています。
江戸四宿のひとつとしてにぎわい、重要であった内藤新宿ですが、当初、甲州道中の最初の宿場は高井戸でした。しかし、日本橋からの距離が遠くて人馬ともに疲労する、との理由により、元禄の頃に新たな宿場として内藤新宿が設けられたのです。
太田道灌の故事で有名な山吹の里の所在地については昔から諸説あるようです。『江戸名所図会』では、それらを踏まえた上で、土地の言い伝えにまかせて、山吹の里は高田馬場の北の方にあったとする、としています。
梅若丸(うめわかまる)は、人買藤太(とうた)に騙されて京の都からはるばる隅田川まで連れてこられ、7歳で隅田川畔で非業の最期を遂げた薄命の子どもです。謡曲や浄瑠璃の「隅田川」の主題ともなっており、江戸の人々にはよく知られた伝説でした。木母寺(もくぼじ)の境内に梅若塚があり、毎年3月15日には「梅若忌」が営まれました(現在は4月15日)。
根岸の里は上野の山蔭にあり、風雅な趣のある土地柄だったので、江戸時代から多くの文人墨客(ぼっかく)が住んでいました。また、日本橋や京橋の大店(おおだな)の別荘などもあり、人々はこの地ののどかな四季を楽しんでいました。鶯の名所でもありました。