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泉岳寺は徳川家康によって創建されました。寛永18年(1641)の大火によって焼失し、高輪の地に移ってきましたが、この移転に尽力したのが毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の5大名です。
目黒川に架けられた太鼓橋は、江戸八丁堀の商人達が私財を出し合い、宝暦14年(1764)から6年の歳月をかけて完成させた石造りの橋です。その形が円形であったため、また太鼓の形に似ていたため太鼓橋といわれたそうです。
目黒不動を訪れた参詣客の土産物として有名なのが目黒飴です。門前には左右に商店が並び、粟餅や飴、餅花を売っていました。
威光寺は稲城市矢野口にある真言宗の寺院で、同じく稲城市坂浜にある高勝寺の末寺です。本尊は大日如来の坐像でした。
穴澤神社は少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)を主祭神とした神社で、元禄7年(1694)に社殿を改修した際、菅原道真を合祀し、穴澤天神社となったとされています。
谷保天神社(やほてんじんのやしろ)を下ったところに清水立場(しみずのたてば)という休憩所がありました。このあたりは谷保随一の湧水地で、夏になるとそばやそうめんを清水にひたして、炎天下の甲州街道を旅する人々をもてなしたといわれています。
国立は国分寺と立川の間にあったことから名づけられた地名ですが、江戸時代、このあたりは谷保(やほ、やぼ)と呼ばれていました。谷保天神社は東日本最古の天満宮といわれ、亀戸天神社・湯島天満宮と合わせて関東三大天神とも呼ばれています。たいそう野暮な人を「野暮天」と言いますが、この言葉の由来となった神社としても有名です。
小金井の桜は最盛期にはその数およそ1万本を数え、立春より54、5日目に開き始めて、60日目に満開になるといわれました。なかでも小金井橋のあたり玉川上水の両岸に植えられた桜が一番美しかったようです。
小金井橋は玉川上水に架けられた橋です。近くに武蔵七井の一つ・名水黄金井があったことからその名前がつけられたといわれます。18世紀の終わりには小金井は桜の名所となり、多くの人々がやって来るようになりました。木橋では損傷が激しく架け替えも頻繁になるため、その費用調達に苦心した住民たちは、安政3年(1856)に資金を持ち寄って念願の石橋を建造しました。
恋が窪は古来、東北・北陸と京都・鎌倉を結ぶ街道の宿駅として栄えました。鎌倉時代初期の武将である畠山重忠に寵愛された遊女・夙妻(あさづま)太夫が重忠戦死という知らせを聞いて悲しみの余り身を投げた場所がこの地にあった姿見の池です。