城下町・江戸のはじまり
江戸はお城を中心として町づくりが始められました。まず大手門(後に常盤橋門(ときわばしもん))から続く奥州街道を基軸として整備されたようです。碁盤の目のような区画整備を行い、城の周辺に武家地・寺社地・町人地を配置しました。
町の整備事業のなかでも重視されたのが、物資を運ぶために海から江戸城をつなぐ水路・道三堀(どうさんぼり)(現在の大手町あたり)の開削です。この道三堀に沿って、最初の町である材木町(ざいもくちょう)・船町(ふなちょう)・四日市町(よっかいちちょう)・柳町(やなぎちょう)が成立しました。寛永年間頃までに、約300町が創設されたと言われています。
さらに、幕府は城下に暮らす住民の飲み水を確保するために町に水を引きます。井の頭池(現・三鷹市)を主要水源とする神田上水(かんだじょうすい)、その後は羽村堰(はむらせき)(現・羽村市)から多摩川の水を取り込んだ玉川上水(たまがわじょうすい)を敷設するなど、町の整備が急ピッチで進められていきました。
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