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1964 to 2020 クイズでめぐる東京のまち Q2 有楽町の変貌

正解!

Q2 昭和37(1962)年、東海道新幹線建設のために取り壊された、国鉄(現・JR)有楽町駅前の飲食店街は何と呼ばれていたでしょう。

A2 ①すし屋横丁

東京オリンピックを前に、有楽町駅前では、東海道新幹線、東京交通会館の建設計画のため、大規模な整備事業が行われました。駅の南側にあった、バラック建ての食堂や居酒屋、雀荘など、飲食店がひしめく賑やかな通りも整備対象地域とされました。庶民に愛された有楽町駅前通り、通称‟ラク町のすし屋横丁"は、昭和37(1962)年に取り壊されました。
その跡地には、昭和39(1964)年開通を目指す東海道新幹線の橋脚が立ち並びました。道幅8mの通りに9m間隔で建設された橋脚は、高さ7.5m、重量46tという巨大なものでした。
当時、有楽町駅に隣接していた東京都民生局は、新幹線建設のために、建物ごと東へ5mほど移動させて話題になりました。現在の東京交通会館が建つ一帯には、都電の車庫が併設された東京都交通局がありましたが、交通会館の建設で移転となりました。
東京オリンピックを機に有楽町の街は一変し、人の流れも大きく変わり始めました。

【参考文献】『変貌する都市の記録 定点撮影-親子三代継承記念出版-』 富岡畦草[ほか]著 白揚社 2017.8 ほか

関連の都政記録写真のご紹介(東京都生活文化局)

「有楽町駅前ガード下」

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