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浅草寺の境内には、楊枝を売る店が多くありました。『江戸名所図会』の本文によると、本店は「柳屋」でしたが、次第に「柳屋」を名乗る店が多くなり、この地の名産となった、と書かれています。絵の上部に楊枝の5つの効能を載せています。
台東区浅草にある金竜山浅草寺は、浅草観音として親しまれている聖観世音菩薩を本尊として祀っています。推古36年(628)3月18日の朝、宮戸川(隅田川の別名)に漁に出た3人の漁師が降ろした網に観世音菩薩がかかり、それを祀ったのが起源とされています。御堂はその後、久しく壊れたままでしたが、大化元年(645)、勝海上人が再営しました。その際、お告げによって秘仏とされ、人々は拝むことが出来なくなった、ということです。
烏亭焉馬編『喜美談語(きみだんご)』の後編に当る、「咄の会」の咄本第二集で、寛政8年4月初めより10月末までの間に、焉馬が披露した落し噺中より47名51話を選び、出版したものです。
文化5年4月開催の青陽舎寿暁(せいようしゃじゅぎょう)の会より、文化14年10月に催された朝寝坊夢羅久(あさねぼうむらく)の三度目の会までの八度の「咄の会」の案内の摺物を戯作者、式亭三馬が貼交帖に仕立てたものです。
粋狂連と興笑連による三題噺の会の成果をまとめた出版物です。表紙や序文等には、粋狂連と興笑連の紋があしらわれています。本書は、幕末の三題噺全盛期につくられました。
書名の由来は、巻頭の口上に「『百人一首戯講釈』(ひゃくにんいっしゅおどけこうしゃく)、『小倉山曲輪の大詰』(おぐらやまくるわのおおづめ)から想を得て補ったことから」と記されています。
三題噺の粋狂連、興笑連の23人について、肖像、経歴、作話を掲載しています。三題噺の類書は多くありますが、本書は、作者の紹介とともに咄を掲載している点に特色があります。
玩具研究家として知られる清水晴風(しみずせいふう)が江戸から明治時代の行商人の姿を描いたもので、約180の職人姿が描かれています。
安政5年(1858)のコレラの流行時の江戸の様子を記録したものです。コレラは死亡率が高く、感染すると発病三日以内に死亡するため、「三日コロリ」と呼ばれました。この時の江戸での死者は、およそ三万人と言われ、火葬場は棺桶であふれました。
新川とは、現在の中央区新川一丁目のほぼ中央部を、日本橋川と並行して流れていた、亀島川(かめじまがわ)の支流の運河です。河岸(かし)には下り酒(くだりざけ)(関西で造られた上等な酒)を扱う多くの酒問屋が集まっていました。毎年11月に樽廻船(たるかいせん)で江戸に到着し、新酒の入荷は江戸の年中行事の一つでもありました。新川は昭和23年に埋め立てられています。