大江戸探訪
江戸城に迫る / 文明開化スポット城の内部は?
江戸時代の城といえば、多くの人が壮大な天守(てんしゅ)をイメージすると思います。慶長(けいちょう)12年(1607)、家康の命により創建された江戸城の最初の天守(慶長度天守と呼ばれる)は、徳川家の権力を象徴するかのように、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が築城した大坂城の天守をはるかに越える、当時の天守のなかでは最も大きなものでした。
天守はその後、徳川秀忠の時代、元和9年(1623)と、徳川家光の時代、寛永15年(1638)の、合計3度建て替えられています。残念ながら明暦3年(1657)に起きた「明暦の大火」(振袖火事とも呼ばれる)によって焼失し、その後再建されませんでした。幕府は甚大な被害を被った町の復興を優先し、「ただ眺めるだけの天守に金と時間をかけるのはいかがなものか」との意見が出て、取り止めとなったと言われています。その後正徳2年(1712)に再建案が作成されたものの、幕末までついに再建されることはありませんでした。
江戸城は将軍の居城である本丸(ほんまる)・二の丸(にのまる)・三の丸(さんのまる)と、隠居した将軍、もしくは次期将軍が居城とした西の丸(にしのまる)・吹上(ふきあげ)・北の丸(きたのまる)からなっており、その規模はおよそ三十万坪で、内堀によって囲まれていました。これに外堀で囲まれた武家屋敷や町屋、寺社を合わせたものが江戸城の総構(そうがまえ)です。家康が始めた江戸城と城下町の建設は3代家光の時代、寛永13年(1636)に総構が完成し、その後、火事などにより何度か修築されましたが、江戸時代を通してこの時の規模が維持されています。
※画像をクリックすると解説文が開きます。