大江戸探訪
江戸城に迫る / 文明開化スポット松之廊下と赤穂事件
白書院へと続く廊下は、本丸御殿の中で、最も広く、かつ長いもので、障壁画として松が描かれていたことから、「松之廊下(まつのろうか)」と呼ばれていました。 この廊下で、現代でも語り継がれている事件が起こりました。元禄14年(1701)、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)による刃傷(にんじょう)事件です。大広間は、幕府の権威を示す特に重要な儀式が行われる場であり、この廊下の先にある白書院も、大広間の次に格式のある部屋でした。また松之廊下には御三家や加賀前田(かがまえだ)家、越前松平家等の殿席(でんせき)(大名や諸役人が江戸城に登城した際に詰める控えの間のこと)があり、儀式によってはこの廊下で行われることもありました。そんな重要な場での刃傷沙汰だったため、幕府が浅野内匠頭に対し、厳しい処分を下したのは、無理もないことだったのかもしれません。
しかし、この刃傷沙汰から赤穂(あこう)浪士たちによる討入りまでの一連の事件は、幕府の意に反して市民の心をとらえました。幕府を批判するような内容はご法度でしたが、この事件を題材にした人形浄瑠璃や歌舞伎、講談、さらには錦絵や草双紙などが人気を博し、江戸の文化に多大な影響を及ぼしました。また、当時の儒者たちの間では、赤穂四十七士が義士であるかを巡る論争も起こりました。
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