大江戸探訪
江戸城に迫る / 文明開化スポット白書院と黒書院
白書院は、上段、下段、帝鑑之間(ていかんのま)、連歌之間(れんがのま)、納戸構(なんどがまえ)の5室があり、周囲を入側(いりがわ)が取り囲んでいました。帝鑑之間は譜代の国持大名の殿席でもありました。
白書院上段之間には、床(とこ)と違棚(ちがいだな)、付書院(つけしょいん)(床の脇に、外側に張り出して設けられた机形式の飾り)、帳台構(ちょうだいかまえ)(鴨居を低く、敷居を高くして丈の低い豪華な襖をたてた出入口)が備えられ、天井も折上格天井(おりあげごうてんじょう)と、大広間に次いで、格式の高い部屋造りとなっていました。上段、下段、帝鑑之間の障壁画の画題は、手本とすべき古代中国の皇帝の故事を描いたいわゆる帝鑑図が描かれていました。
白書院は、年始や五節句などの式日に御三家などとの対面に使われました。儀式によっては、大広間と一体で使用されることもありました。
このほか、白書院の前の中庭では、蹴鞠(けまり)や武術が披露され、将軍は白書院の下段から上覧しました。
白書院では公式な対面が行われましたが、黒書院は、「表(おもて)」の中で最も日常的な対面の空間として位置付けられ、御三家、加賀前田(かがまえだ)家、越前松平(えちぜんまつだいら)家や老中など、上位の大名と、「月次(つきなみ)」と呼ばれる対面が、毎月1日・15日・28日に行われました。将軍と諸役人との特別な対面もここで行われました。
黒書院には、上段、下段、西湖之間(さいこのま)、囲炉裏之間(いろりのま)の4部屋があり、周囲を入側(いりがわ)が囲んでいました。他の御殿は檜(ひのき)造りでしたが、黒書院は赤松造の建物だったようです。囲炉裏之間にはその名の通り、部屋中央に囲炉裏がありました。
黒書院の上段、下段、西湖之間には、墨絵による山水画が描かれ、上段北面には畳床と違棚がありました。白書院のように納戸構(なんどがまえ)や付書院はなく、こうした部屋の造りからも、日常的な対面の空間だったことがわかります。
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