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大江戸探訪  

江戸城に迫る / 文明開化スポット   


将軍の住まいと暮らし 中奥

徳川累代像顕 月岡芳年画 明治8(1875)刊

中奥は、将軍が日常生活と政務を行う場で、「表」と「大奥」の間にありました。「表」との境は黒書院の奥の「錠口(じょうぐち)」と「時計之間(とけいのま)」で、大奥とは2本の「御鈴廊下(おすずろうか)」で繋がっていました。「中奥」という言葉は江戸時代の史料には見えず、明治になってから使用されるようになった言葉です。
中奥には、将軍が老中たちとの面会に用いた「御座之間(ござのま)」や、政務などを行った「御休息之間(ごきゅうそくのま)」などがありました。御殿の内部は、将軍の個性や中奥の役職などによって変化していきました。

御本丸御座間二拾分ノ一妻建地割 大棟梁甲良若狭控 万延度
御本丸御表方惣絵図 万治度

将軍の一日のスケジュールは、公式行事もあるため、だいたい決められていました。日が昇るころに起床し、朝食後に大奥へ出向き、御台所たちから挨拶を受ける総触(そうぶれ)を行い、午後は御休息之間で政務を行うなど、多忙でした。また、御休息之間と御座之間の滞在時間が長く、その行動範囲は意外に狭いものでした。
中奥の役職としては、将軍と老中との間を取り次ぐ御側御用取次(おそばごようとりつぎ)、将軍の身辺の世話をする小姓や小納戸(こなんど)、奥医師などがありました。役職は、将軍の側近の最高の職である側用人が置かれたり、置かれなかったりと時代によって変わっていきました。また、中奥の諸役人のための詰所は、御側御用取次などの重要な役職ほど将軍の部屋の近くに設置されていました。

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