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大江戸探訪  

江戸城に迫る / 文明開化スポット   


知られざる大奥の世界

千代田の大奥 猿若狂言 楊洲周延画 明治28(1895)刊

江戸城本丸は、将軍が公的な儀式を行う部屋、諸大名の控室や諸役人の詰所などの儀式と政治の場所(表)、将軍が生活し、また政務を執る(とる)場所(中奥(なかおく))、そして将軍の子女や正室(せいしつ)、奥女中(おくじょちゅう)たちが生活する場所(大奥)の大きく3つにわけることが出来ます。そのうち大奥は本丸御殿の約半分の面積を占めていました。
大奥というと女性だけの空間であると思われていますが、実は男性もいました。大奥の一角には御広敷(おひろしき)と呼ばれる役人の詰め所が設けられており、ここには広敷用人(ひろしきようにん)と呼ばれる大奥における事務や取次ぎを行う役人がいました。御台所(みだいどころ)(将軍の正室)の食事もこの広敷用人が作るなど種々の役目を担う男性たちがいたのです。

奥奉公出世双六 歌川豊国(三代)画
弘化元年(1844)刊
寛永度絵図大奥 甲良豊前 控 [万治度] 写

とはいえ、大奥の主役が女性であったことには間違いありません。将軍に仕える奥女中には職務により厳しい身分・階級の区別があり、そのトップは3人の「上臈(じょうろう)」です。この役職は京都の公家から選ばれることが多く、将軍御成(おなり)の世話のほか、女中たちの茶の湯や生花の指導も行うなど、広大な大奥を取り仕切っていました。

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