疫病退散への願い
江戸時代、疫病は地震や火事とともに人々に恐れられていました。中でも疱瘡(ほうそう)、麻疹(はしか)、水疱瘡(みずぼうそう)は「御役三病」といわれ、一生に一度しかかからないものの死亡率が高く、無事に終えることが切実な願いでありました。これらは神のたたりや怨霊・疫鬼がもたらす災いと考えられていました。さまざまなお祈りやまじないが行われ、疱瘡絵・はしか絵などにそのあとを見ることができます。
疱瘡絵は、疱瘡除けの呪力を持つものとして、災難除けの効力があるとされる赤色で刷られた「赤絵」が好まれました。鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)や魔除けの神としても知られた鍾馗(しょうき)が疱瘡神を追い払う構図が定番でした。
一方、はしか絵には、麻疹を懲らしめる構図のものだけではなく、麻疹の診断方法や食物の禁忌、薬の宣伝などが文字情報として盛り込まれたものが多く見られます。現存するはしか絵のほとんどは、文久2年(1862)の江戸での流行時に刊行されたものです。この年の流行はコレラの流行とも重なり、江戸の町でも膨大な数の死者が出ました。幕末の江戸で流行したコレラもまた、さまざまに記録されています。
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