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回向院の本堂の右側に見えるよしず張りの巨大な建物が相撲小屋です。表門の外に立てられた相撲櫓(やぐら)から打ち鳴らされる櫓太鼓の音によって、江戸の人々は勧進相撲の始まりを知ることができました。
『江戸名所百人美女』の一枚です。右上の小さな枠の中に描かれた絵(コマ絵と言います)には湯島天神の風景、そして錦絵中央の美人は手習いの稽古中です。湯島天神といえば学問の神・菅原道真を祀る神社です。学問と美人を組み合わせるという趣向を凝らした錦絵です。
亀戸(江東区)の梅屋敷は、江戸時代、江戸近郊の行楽地、とくに梅の名所として、多くの人が訪れた場所です。茶屋も設けられ、大勢の人が梅見を楽しんでいました。
毎年5月28日には、大川(隅田川)の川開きに合わせて、大々的に花火が打ち上げられました。両国橋から、川に浮かべた納涼船から、花火見物に大勢の人々が集まりました。
行灯に火を付ける女性と千住の町並みを描いた作品です。千住宿は日本橋から二里(一里は約4Km)にあり、奥州街道・日光街道の起点として繁昌しました。
「ひぐらしの里」とも呼ばれた日暮里が桜の名所となったのは、江戸時代中期のことです。多くの寺院が桜やツツジなどを植樹した庭園を競うように造ったことによって花見の名所になったといわれています。
谷中から道灌山あたりは寺院が密集する地域でしたが、とくに道灌山に向かう道の両側には経王寺、仁専寺、養福寺、妙隆寺、修正院、青雲寺など美しい庭園を持つ寺院が連なっていました。
荒川区西日暮里にある諏訪神社の境内から崖下の田んぼ、そして遥か遠くの筑波山を描いたものです。諏訪の台とは諏訪神社あたりの高台のことで、3月には八重桜の名所として花見客で溢れかえり、厄よけなどの願いを掛けて、素焼きや日干しの土器の杯や皿を投げる「土器(かわらけ)投げ」に興じる人々もいたそうです。
江戸時代の三河島(現・荒川区東日暮里)は鶴の飛来地で、毎年11月になると、竹の囲いをめぐらして、鶴の餌付けが行われていました。将軍が自ら鷹を使って鶴を捕獲し、朝廷に献上する「鶴御成(つるのおなり)」の猟場の一つでした。
会式(えしき)とは日蓮上人が亡くなった10月13日前後に、遺徳を偲び日蓮宗の寺院で行われる法要のことです。池上本門寺は、日蓮上人終焉の地に建立されたお寺として、その会式も盛大に行われ、数多くの参拝者が訪れました。