このデータベースは、本サイトで紹介する江戸・東京の資料を資料の種類とキーワードから検索閲覧することができます。
毎年恒例の11月の顔見世興行の際は番付が刷られますが、これはその番付を真似て制作されたものです。江戸三座(中村座・市村座・守田座(もりたざ))に出演している当時の人気役者たちの名前を見ることができます。
11月の酉の日に行なわれる祭礼「酉の市」(とりのいち)を描いたものです。男性は右手に福をかき込むためのおかめの熊手、左手には人の上に立つための芋頭(いもがしら)を縁起物として持っています。
屋内の大掃除をして神棚をはらい清める年末恒例の行事、煤払い(すすはらい)の様子を描いた錦絵です。江戸時代、煤払いは12月13日に行うことが定められていたため「十三日節供(せっく)」などとも呼ばれる一種の神事でもありました。
今なお続く浅草の歳の市を描いた錦絵です。12月になると江戸のあちらこちらに、正月を迎えるための注連飾り(しめかざり)や神棚、羽子板、さらには食材まで、ありとあらゆる正月用品を売る市が開かれていました。
江戸の名所の判じ物です。江戸時代には文字や絵に意味を隠し、それを当てさせるという判じ物が数多く刊行されましたが、地名だけでなく、枠外の題名や版元までもが判じ物になっています。
名所絵で有名な初代広重が描いた影絵で、おもちゃ絵の一種です。宴会などの席で人間が手や足、または小道具を使って雁や猫の格好をし、障子に映る影法師を楽しみました。
『千羽鶴折形』は寛政9年(1797)に京都で発行されたもので、1枚の紙で2羽~100羽の鶴をつなげて作る連鶴(れんづる)の作り方、49種を描いたものです。作り方といっても具体的な折り方の説明はなく、開いた紙にどのように切込みをいれるか、ということのみが示されています。それぞれの連鶴に、蓬莱(ほうらい)、稲妻、妹背山(いもせやま)、百鶴などという名前がつけられています。
「あをものうり(青物売り)」や「せとものうり(瀬戸物売り)」「まんぢう屋(饅頭屋)」などの物売りの姿を描いた絵の一部が文字になっています。文字を組み合わせて絵を描き遊びました。文字絵としてのおもしろさはもちろんですが、収載されている32枚の文字絵から、当時の物売りや職人の風俗も知ることができます。
「智恵の板」とは正方形の板を7つに切り、その7片を並べかえて、色々な物の形を作って遊ぶパズル形式の玩具です。
行灯に火を付ける女性と千住の町並みを描いた作品です。千住宿は日本橋から二里(一里は約4Km)にあり、奥州街道・日光街道の起点として繁昌しました。