このデータベースは、本サイトで紹介する江戸・東京の資料を資料の種類とキーワードから検索閲覧することができます。
鮎は多摩川の名産品でした。本書には初夏のころから晩秋にいたるまで、江戸っ子が、遠いことも厭わず多摩川に来て遊猟をした、と書かれています。
芝居町とも呼ばれた猿若町全体の様子をよく知ることのできる鳥瞰図です。天保13年(1842)、幕府の命により中村・市村の両座が、翌年には森田(守田)座の控櫓(ひかえやぐら 江戸三座が興業できない時、代わりに興行を許された劇場)である河原崎座が移転し、一大芝居町が形成されました。
歌舞伎の舞台裏の仕掛けに用いる道具や作業を、図を主体に説明を付けて紹介した資料です。大道具や小道具を含めた歌舞伎の演出方法を知ることができます。
当時の名優をそれぞれの格式により楽屋に配置した双六です。役者だけではなく、中央下方には、市川団十郎一座の芝居を手掛けた桜田左交(さくらださこう)、人情話を得意とした河竹新七(かわたけしんしち)、中村座の座付作者・瀬川如皐(せがわじょこう)といった人気作者の名前も見ることができます。
画面下部には、楽屋でくつろいでいる素顔の人気役者の似顔絵が、上部には役者の似顔絵の周辺に様々な役どころの鬘が描かれています。この絵は幕末に流行した玩具(おもちゃ)絵の一つで、着せ替え絵、または切り抜き絵とも言われるもので、鬘を切り抜き、役者の髪型を着せ替えて楽しみました。
歌舞伎十八番の一つ、『助六由縁江戸桜』の場面を描いた作品。松本幸四郎、市川海老蔵、岩井半四郎という現在でも名前が受け継がれている人気役者たちが演じています。
役者絵の名手・初代豊国の手による歌舞伎役者の似顔絵の書き方の指南書です。このような本が作られるほど役者絵は人気がありました。
嘉永2年(1849)11月に両国の回向院で開催された本場所を描いた錦絵です。大関・剣山(つるぎさん)以下東方の力士が土俵入りを済ませ、代わって西方の力士が土俵に上がろうとしている場面を描いています。
この絵は人気力士や行司を東西に分けて描き、名前を当てさせる判じ物です。判じ物とは、文字や絵画に、ある意味を隠しておき、それを当てさせる謎かけ遊びの一種です。
両国回向院境内で興行された相撲の取り組みの様子を描いたものと思われます。谷川梶之助、小野川喜三郎など寛政期(1789~1800)を代表する力士たちが写実的な似顔絵で描かれています。