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作品名に「卯の花月」とあるように、4月の江戸の町の様子を描いた作品です。長屋の前で男性が鰹をさばいていますが、これは長屋の住民みんなで買った1本の鰹を切り分けている様子です。
5月5日といえば、端午の節句(たんごのせっく)です。コマ絵(枠内の絵)にはこの日に欠かせない鯉のぼりと幟が、中央にはお祝の席に使われる見事な鯛を見つめる女性2人が描かれています。
菖蒲の名所・堀切を見物に訪れた女性を描いた作品です。葛飾区内に今も残る堀切の菖蒲園は江戸の昔から開花の季節になると、数多くの遊覧客が訪れました。
江戸の町に夏の訪れを告げる「山王祭」が始まったのは江戸時代初期の頃です。山王とは日枝(ひえ)神社を指しますが、日枝神社は将軍家や江戸城の守護神として手厚く保護され、その祭礼は将軍が上覧する「天下祭」と呼ばれ、多くの見物客を集めました。
鉄砲洲稲荷神社(中央区湊)の境内には富士山の溶岩を取り寄せて作った富士塚(小さな富士山)がありました。「富士詣(ふじもうで)」と称して多くの人々が、このミニチュアの富士山を参詣に訪れました。
孟秋とは7月のことで、この錦絵は7月の年中行事の一つ、盆踊りの風景を描いた作品です。切子灯籠(きりこどうろう)のもと、揃いの着物を着た女性が踊っています。
7月7日の七夕の行事を扱った作品です。種々の飾り物をつけた葉竹が家々の屋根に高々と立ち並び、風にゆらぐ情景は、現在の東京の規模の小さな七夕祭とはだいぶ趣を異にしています。
八朔(8月1日)は徳川家康の江戸入府の日とされることから、江戸時代にはもっとも重んじられていた行事でした。
道灌山(現・荒川区西日暮里4丁目あたり)は江戸時代、「虫聞」の名所として、また夕涼みの場所として、多くの人々が足を運びました。
菊月とは9月のことです。五節句の一つで9月9日の重陽(ちょうよう)の節句は、菊が咲く季節に行われることから菊の節句とも呼ばれます。この絵には色とりどりの菊を背景に着飾った女性たちが描かれています。