このデータベースは、本サイトで紹介する江戸・東京の資料を資料の種類とキーワードから検索閲覧することができます。
江戸時代、葛西周辺の人家の庭や田畑の畦道には四季おりおりの草花が植えられていました。この草花は江戸の市で売られたようです。
江戸時代は釣りが、遊びとしての文化を確立した時代であり、なかでも秋のハゼ釣、春秋のキス釣の人気は高く、様々な釣りの案内本や秘伝書が刊行されました。
現在の江東区大島に、中川番所と呼ばれた、江戸に出入りする川船を取り締まるための施設がありました。特に積荷の通行には厳格で、江戸の河川流通の関所として重要な役割を果たしていました。
二之江から今井、船堀、桑川といった江戸川の村々で作られた海苔は「葛西海苔」と称され、「浅草海苔」と異なった紫菜であったそうです。
平井聖天宮の正式名は燈明寺と言い、縁結び・厄除け開運の仏として古くから信仰を集めてきました。現代でも浅草の待乳山聖天(まつちやましょうてん)、熊谷の妻沼聖天(めぬましょうてん)とともに、「関東三聖天」のひとつといわれています。
江戸時代後期、多摩川の河口には広大な洲が形成されていました。 この洲の南の先端に羽田弁天(玉川弁才天)と呼ばれる古い弁天堂がありました。
江戸の土産物として人気が高かったのが浅草海苔です。江戸時代中期以降になると、その製造は主に大森や品川で行われていました。古くは浅草で製造されていたため浅草海苔と呼んでいたようです。
大森の名産品である麦わら細工が作られるようになったのは江戸時代中期のことです。東海道筋の土産物として旅人に人気がありました。
堀切の花菖蒲は、江戸名所の一つとして、江戸時代のみならず明治・大正期まで多くの人々がこの場所に訪れたほどです。
引舟(曳舟)とは船頭が櫓や竿で船を動かすのではなく、岸から綱で引っ張って客を運ぶ運搬法です。描かれているのは本所用水ですが、水路の幅が狭く水深が浅いことから、舟運は曳舟しかなかったようです。