第3章 幕末の江戸城
江戸城は、政庁で将軍の生活の場である本丸御殿を中心に複数の建物で構成されていました。江戸の町は火事が多く、江戸城は焼失と再建を繰り返します。幕末の政治の舞台となったのは、万延元年(1860)に造営された本丸御殿です。しかし、文久3年(1863)11月に本丸御殿は焼失し、同年6月西の丸御殿も焼失していたため、江戸城は全く御殿のない状態になりました。元治元年(1864)に再建された西の丸仮御殿が「最後の江戸城」として新政府に引き渡され、皇居となりました。
ここでは、重要文化財の「江戸城造営関係資料(甲良家伝来)」の建築図面や古写真で幕末の江戸城をご紹介します。
江戸東京デジタルミュージアムの関連記述はこちら
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えど おしろ の えず
【重要文化財】写 1舗 東京誌料6151-2
18世紀初期の江戸城のほぼ全域が描かれた図です。
建物の内部の表御殿、大奥御殿、堀や土手は色わけされています。右中央の「御本丸」は、最も重要な御殿であり、政庁で将軍の住居です。左中央の「西丸」は前将軍や世継の住居で、本丸が焼失した際の仮御殿となりました。また、紅葉山には歴代将軍の霊廟などがありました。(36.6×54.7cm)
えどじょう ごほんまる まんえんど ごふしん ごてんむき おもておく そうえず
【重要文化財】万延度 写 1枚 縮尺1:600 東京誌料616-11
万延元年(1860)11月に再建された本丸御殿の表、中奥の図です。「表」では江戸幕府の政治や儀式が行われ、「中奥」は将軍の日常生活の場で政務も行った場所です。この他に将軍の夫人や子女などの生活の場である「大奥」がありました。
この本丸御殿は文久3年(1863)11月に焼失してしまいますが、再建されず西の丸が仮御殿となり、明治を迎えることになります。(36×50cm)
にしのまる かりごてんむき えず
【重要文化財】元治度 写 1舗 縮尺1:300 東京誌料6171-66
文久3年(1863)6月に焼失し、元治元年(1864)に再建された西の丸仮御殿の表・中奥の図です。
この御殿は文久3年(1863)11月に焼失し、再建されなかった本丸御殿の代わりとなります。財政難のため、従来の西の丸御殿に比べ能舞台が無くなるなど構造が簡略化されました。この図には、2階の一部が記載された紙が貼られています。(61.9×56.5cm)
めいじ しょねん きゅうじょう しゃしんしゅう ほんまるあと の こうけい
[明治期] 写真 1枚 東京誌料617-C3-5
明治初期に撮影された江戸城の本丸御殿跡の写真です。
写っている櫓(やぐら)は数寄屋二重櫓、左の門は不二見宝蔵へ入る埋門(うずみもん)です。手前の広場には、本丸御殿の大広間や能舞台がありました。将軍家の霊廟や幕府の文庫である「紅葉山文庫」があった「紅葉山」の茂みが数寄屋二重櫓の後ろに見えます。当時の荒廃した様子がよくわかる写真です。(20×27.5cm)
主な参考文献 3
【図書】
番号 | 書名--編著者--出版者--出版年月-- | 請求記号 資料コード |
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1 | 江戸幕府大事典--大石 学/編 -- 吉川弘文館 -- 2009.12 -- | R/ 210.50/ 5426/ 2009 5017864632 |
2 | 古写真と古地図で体感する!失われた江戸城--原 史彦/監修 -- 洋泉社 -- 2013.1 -- | T/ 34・521/ 5015/ 2013 7101825827 |
3 | 江戸城 1-- 至文堂 -- 1992.10 -- | D/ 5215/ 3307/ 1 1125564171 |
4 | 江戸城--村井益男/責任編集 -- 小学館 -- 1986.7 -- | DT/ 0・090/ 15 1124410958 |
5 | 図説江戸城その歴史としくみ 決定版--平井 聖/監修 -- 学研 -- 2008.4 -- | T/ 210.5/ 5187/ 2008 5015329833 |