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大小暦の愉しみ〜錦絵を生んだ小世界

「大小暦(だいしょうれき)」とは

 大小暦とは、その年の月の大小(1か月が三十日ある月が大、二十九日ある月が小)の区別を文字や絵で示した簡単なカレンダーのことです。
 月の満ち欠けを基準とした太陰太陽暦を採っていた明治5年までは、年ごとに月の大小の配列が変化し、しかも約3年に一度は閏月を含む1年が13か月の年も巡ってきました。毎年、このように複雑に変化する暦を覚えるのは一苦労だったので、身近な場所に貼っていつも見られるように摺物(すりもの)として配られたり、語呂合わせで暗記できるよう月を巧みに詠み込んだ歌や句が考案されたりしました。
 初期の干支と大小の区別を文字で記しただけのシンプルで実用的なものから、絵や文字に隠された大小を読み解く謎解き要素をもつもの、商品の宣伝を兼ねたものなど様々な趣向を凝らしたものへと発展し、実用だけにとどまらないささやかな娯楽の一つとして庶民の生活に根差していきました。
 暦全般の販売が規制されていたため、商店が年末から新年にかけて顧客への挨拶状を兼ねて配った一方で、教養の高い旗本や裕福な商人といった趣味人が、仲間内で発表・交換するために作らせたものもありました。
 明和2年(1765)には、鈴木春信(すずきはるのぶ)(1725-1770)の絵で熟練の彫師・摺師に依頼して作らせた大小暦の交換会が一大ブームとなり、お互いに作品の豪華さを競い合ったことから版画の多色摺り技術が飛躍的に向上しました。それらがのちに暦部分を抜いて商品化されて庶民にも広まり、いつしか「錦絵(にしきえ)」と呼ばれるようになりました。
 ここでは、貼込帖に残された大小暦のコレクションからいくつかをご紹介します。

※下線付きの資料タイトルをクリックすると「TOKYOアーカイブ」画面又は拡大画像が開きます。

【画像】卯年大小暦

卯年大小暦

うどしだいしょうれき

歌川豊広 文政2年(1819) 1枚 東京誌料 5245-22

 兎をかたどった、目貫(めぬき)(※)と思われる刀装具が収められた箱の蓋には「大小分」と書かれています。その箱を包んでいたとみられる袱紗(ふくさ)には、大の月である二、四、五、六、八、九、十一が、鍔(つば)の下に描かれた畳紙(たとうし)には小の月である正(一)、三、閏(うるう)四、七、十、十二がそれぞれ生地の柄のように描かれています。
 この大小の配列と兎=卯年から、文政2年(1819)己卯(つちのとう)の大小暦と推定されます。
 大小暦の愛好者には上級武士もいたことから、武士の魂を象徴する刀や刀装具をデザインしたものが少なくありません。淡い色彩の一見簡素な印象ですが、よく見ると、目貫や鍔、袱紗の裏側の模様が半立体的に浮き出ており、「空摺(からずり)」(※)という技法を用いた凝った作りであることがわかります。(21×9.2cm)

※目貫...刀の柄(つか)の中央付近に付け、茎(なかご)に開けられた穴に通して柄と茎を固定する、表裏一対の刀装具のこと。
※空摺...版木に彫った模様を紙の裏から押し込むようにして浮き立たせる錦絵の技法のひとつ。

【画像】火の用心の大小暦

火の用心の大小暦

ひのようじんのだいしょうれき

1枚 加賀文庫 加155-16

 「火要鎮(ひのようじん)」と大書した左右に大小の月を並べています。その下には、繁栄と飛躍を意味する縁起物・波兎の衝立(ついたて)を挟んで、大黒さまと恵比須さまが描かれています。これは、神社で頂くような火伏せのお札のデザインを模したもので、台所など火を扱う場所に貼るために摺られたものと思われます。
 干支「乙卯(きのとう)」と大小の配列から、安政2年(1855)の暦と推定されます。この年の10月には、江戸で安政大地震が発生し甚大な被害が出ましたが、震災から焼け残ったものかもしれない思うと感慨深いものがあります。(30.7×11.1cm)

【画像】寅年大小暦

寅年大小暦

とらどしだいしょうれき

1枚 加賀文庫 加155-16

 こちらには大小それぞれの月を詠み込んだ歌が記されています。大の月は「二(に)こやかに四(よ)を六(むつ)まじく七(な)にごとも八(や)わらぐひ十(と)は十二(とに)かくによし」(にこやかに世を睦まじく何事も和らぐ人はとにかくに良し)、小の月は「正直の三(み)は五(いつ)までも商(あきな)ひの閏(うるほ)ひ七(な)が九(く)十一(しも)やさかゑん」(正直の身はいつまでも商いの潤い永く下や栄えん)とあります。「正直」の「正」が正月(一月)、「閏ひ七」が閏七月を表しています。
 干支「甲寅(きのえとら)」とこの大小の配列から嘉永7・安政元年(1854)の暦と推定されます。
 その年の干支の動物を配するのは大小暦の定番ですが、この習慣は現在も年賀状やカレンダーなどのデザインに引き継がれています。(23.5×11cm)

宿屋「坂野屋」の挨拶状

やどやさかのやのあいさつじょう

1枚 加賀文庫 加155-16

【画像】宿屋「坂野屋」の挨拶状

 坂野屋平五郎という神田仲町の宿屋の年始の挨拶状です。裃姿の店主らしき人が改まってお辞儀する後ろ姿と使用人の姿が描かれた絵の中に、大小暦が紛れ込んでいます。どこだかわかりますか?
 ヒントは挨拶文冒頭の言葉、「今年も相かわらず年中の大小は帳面でわかります」(答えはトップページのサムネイルをもう一度ご覧ください)。(16.7×40.8cm)

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主な参考文献

【図書】

タイトル / 編著 / 出版社 / 出版年 等 請求記号
資料コード
大小暦 / 長谷部言人著 / 竜渓書舎 / 1988 4498/11/88
1123208963
大小暦を読み解く 江戸の機知とユーモア / 矢野憲一著 / 大修館書店 / 2000 449.3/5005/2000
5001831541
江戸の絵暦 / 岡田芳朗編著 / 大修館書店 / 2006 D/449.3/5016/2006
5012865575
原色浮世絵大百科事典 第3巻 様式・彫摺・版元 / 日本浮世絵協会原色浮世絵大百科事典編集委員会編 / 大修館書店 / 1982 D/7218/176/3
1128006245

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