第2章 江戸の災厄
第2章では、江戸での安政の大地震と麻疹(はしか)やコレラのなどの疫病の流行に関する資料をご紹介します。
安政2年(1855)10月に起こった安政の大地震は死者数1万人ともいわれ、江戸市中に甚大な被害をもたらしました。ペリー来航などの当時の不安な社会情勢と重なり、人々に大きな衝撃を与え、この地震に関する数多くの記録や摺物が刊行されています。特に鯰と地震をテーマにした錦絵の「鯰絵(なまずえ)」が数多く作成されました。その中には地震による世相を反映し、庶民の憂さ晴らしに使われたと思われるものも少なくありません。
一方、麻疹やコレラなどの疫病も流行し、数多くの死者が出ています。幕府は、御救米(おすくいまい)の支給などの対策を行っています。疫病の一つである疱瘡(ほうそう)に対しては、予防法として牛痘(ぎゅうとう)の接種が広がっていきました。また、疫病についても庶民のたくましさを感じさせる浮世絵や狂歌などが数多く作られました。
資料名に下線があるものは「TOKYOアーカイブ」の該当箇所にリンクしています。
1 安政の大地震
ごじんけい おすくいごや へ せぎょう めいさいしょ
安政2年(1855) 刊 1冊 東京誌料0277-16
安政地震時における富裕な町民による施業物資の明細です。近世の災害時、幕府による被災窮民への救済事業は、御救小屋(おすくいごや)の開設、炊き出し、御救米付与などが行われました。それに並行して、主に都市においては、富裕層が私的に金銭や食料を施行することが慣例化していました。今でいう義捐金や救援物資の寄付に当たります。米、味噌、茶を始め、ふかし芋、沢庵、らっきょう、下駄、打ち身薬などが見えます。(11.4×30.3cm)
江戸東京デジタルミュージアムの関連記述はこちら
かんとう るいしょう おおじしん
[安政2年(1855)10月頃] 刊 瓦版 1枚 東京誌料0277-C56
安政地震直後に出版された瓦版です。御救小屋(おすくいごや)はまず、浅草広小路、深川海辺大工町、幸橋御見付外の3ヶ所に設置されたことが記され、右には御救小屋の場所と被災状況を町ごとに詳しく伝え、地震で倒壊した建物と火災に逃げまどう人々の様子を描いています。炎の色など、版彩ではなく後から筆彩色を施しています。
「御救小屋」とは、災害を速報する瓦版の多くに使われる言葉で、瓦版は人々にとって重要な情報源でした。(38×77.5cm)
なまず を おさえる かしま だいみょうじん
安政 2年(1855) 刊 錦絵 1枚 東京誌料0277-C53
鹿島大明神が地震を起こしたとされる鯰を押える図は、典型的な鯰絵(なまずえ)の一つです。安政地震のあった10月は全国の神々が出雲に集まる月といわれ、鯰を押える役割の鹿島明神の留守の間に地震が起こった、と考えられていました。金持ちたちは地震が再び起きないように、復興景気で儲けた職人たちは今後も地震を起こしてくれるように、それぞれが都合のよい願をかけています。鯰絵は不安を解消する護符や読み物としての役割を担い、大いにもてはやされました。(35×25㎝)
なまず の ながしもの
安政 2年(1855) 刊 錦絵 1枚 東京誌料0277-C28
地震を起こしたため、鹿島明神に捕らえられた5匹の鯰が、神々の裁きを受けている図。本来なら「鍋焼き」にすべきところを「遠き外国に流すべし」と流罪を申しつけられています。「遠き外国」という表現に黒船の脅威にさらされている幕末の世相が反映されています。(24×35.5㎝)
じしん の すちゃらか
刊 錦絵 1枚 東京誌料5649-C3
「おくれて出られぬ 蔵の中」、「あちこち見つけて 藪の中」など地震に見舞われた人々の様子を2匹の鯰がすちゃらか節で、茶化しています。鯰の後ろの防火用の樽には「鹿島町」の町名が見えています。
すちゃらか節は歌舞伎の下座(げざ)音楽のひとつで、幕末に流行した阿保だ羅経(あほだらきょう)を三味線にのせて唄い、木魚を入れたものです。(37.4×25㎝)
2 疫病流行
26 安政午秋頃痢流行記
あんせい うま の あき ころり りゅうこうき
金屯道人(仮名垣魯文) 編 安政5年(1858) 刊 1冊 加賀文庫273
戯作者仮名垣魯文(かながきろぶん)編になる、安政5年(1858)コレラ流行時のルポルタージュの体を取る本書は、瓦版から得られた情報や当時の巷説の奇談を集めています。展示部分は木津(きづ)氏という藩士が、奇病の流行するその虚に乗じて人を誑(たぶら)かそうとした古狸(こり)を退治した、という場面で、ころり(コロリ)に化けた妖怪、古狸の絵です。当時奇病は憑き物と類似の現象として認識されていたことがわかります。(25×17cm)
あおもの さかな ぐんぜい おおかっせん の ず
歌川広景画 安政 6年(1859) 刊 錦絵 3枚続 東京誌料5259-C36
刊行の前年の安政5年(1858)は全国にわたってコレラが大流行しました。当時疫病の原因は生物、特に魚の体内にある毒に由来すると考えられ、青物が高騰しました。この錦絵はコレラにかからない食物としての青物と、かかりやすい食物としての魚との争いに仮託して、実は一橋派と南紀派の抗争を表しています。当時劣勢の一橋派は魚で表されています。「蜜柑太夫」は紀州侯(14代将軍徳川家茂)、「大蛸」は徳川斉昭、「しゃち太子」は一橋慶喜です。(35.5×72.5cm)
28 麻疹必用
ましん ひつよう
葛飾蘆菴編 須原屋茂兵衛 1冊 文政7年(1824) 加賀文庫3383
江戸時代に麻疹(はしか)も流行を繰り返します。この医書は、文政7年(1824)頃の流行時に刊行されました。中国の医書に基づき、病状、医者や薬の選び方、禁忌の事柄、おまじないなどが具体的にわかりやすく書かれています。巻末には『痘疹必用(とうしんひつよう)』があり、疱瘡(ほうそう)への対応についても記載されています。画像は、麻疹の症状の図で、病状の軽重を解説しています。幕末の文久2年(1862)には江戸で流行しています。(15.2×9cm)
ちんぜい はちろう ためとも ほうそうがみ
歌川国芳画 万屋吉兵衛 錦絵 2枚続き 東京誌料778-C18
「疱瘡絵」といわれる疱瘡除けの錦絵。この絵には、疱瘡神と疱瘡神に付き従う病児に与えられる張り子の玩具、鎮西八郎為朝が描かれています。鎮西八郎為朝は源為朝のことです。保元の乱で八丈島に流された為朝が、疱瘡神を退治したため八丈島に疱瘡が流行しなかったという伝説により、鎮西八郎為朝が疱瘡絵に描かれるようになりました。(36.3×48.8cm)
とうと したや えず
戸松昌訓著 尾張屋清七 嘉永4(1851) 文久2(1862)改正 1枚 東京誌料0461-5ウ
江戸下谷の種痘所が掲載されている切絵図です。
安政5年(1858)に伊東玄朴(いとうげんぼく)たち蘭方医が幕府の許可を得て、お玉ケ池の川路聖謨(かわじとしあきら)の拝領地に私設の種痘所を開設しました。大火で焼失した後、安政6年(1859)に下谷の玄朴邸の隣に再建され、万延元年(1860)には幕府直轄となります。種痘だけでなく、蘭方医の養成も行うようになります。
この図には、幕府直轄の漢方医の養成機関である「医学館」(部分拡大図)も見えます。(45.7×87.6cm)
とうそう たいじ の ず
歌川芳藤画 嘉永3年(1850)嘉永4年(1851)再刻 1枚 東京誌料778-C13
牛痘の普及を目的とした錦絵です。深川の蘭方医の桑田立斎(くわたりゅうさい)が考案したものが元になっていると思われます。
白牛に乗り、疱瘡神を退治する牛痘児の腕には牛痘を受けた跡の赤い斑点が描かれています。当時は、疱瘡は神の仕業と考えられており信仰の対象でもありました。それに対して疱瘡神は「実ハ悪魔疱瘡神」と書かれ、疱瘡神信仰を否定しています。(24.5×38.5cm)
主な参考文献 2
【図書】
番号 | 書名--編著者--出版者--出版年月-- | 請求記号 資料コード |
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1 | パンデミックvs.江戸幕府--鈴木 浩三/著 -- 日経BP日本経済新聞出版本部 -- 2020.12 -- | 332.1/ 6578/ 2020 7113745961 |
2 | 鯰絵 震災と日本文化-- 里文出版 -- 1995.9 -- | 3851/ 3201/ 95 1127779218 |
3 | 鯰絵 安政江戸大地震後の世相を伝える錦絵--埼玉県立歴史と民俗の博物館/編 -- 埼玉県立歴史と民俗の博物館 -- 2016.3 -- | 387.0/ 5352/ 2016 7107467199 |
4 | 日本古典と感染症--ロバート キャンベル/編著 -- KADOKAWA -- 2021.3 -- | S/ 910.20/ 6242/ 2021 7114469390 |
5 | 安政コロリ流行記 幕末江戸の感染症と流言--仮名垣 魯文/[著] -- 白澤社 -- 2021.5 -- | 210.58/ 5432/ 2021 7114255203 |
6 | 幕末の風刺画 戊辰戦争を中心に--町田市立博物館/編集 -- 町田市立博物館 -- c1995 -- | 85/ 03C/ 1-95A 1115140281 |
7 | 江戸の流行り病 麻疹騒動はなぜ起こったのか--鈴木 則子/著 -- 吉川弘文館 -- 2012.4 -- | 498.0/ 5841/ 2012 7100388558 |
8 | 種痘という<衛生> 近世日本における予防接種の歴史--香西 豊子/著 -- 東京大学出版会 -- 2019.12 -- | 493.82/ 5038/ 2019 7112500810 |
9 | 江戸幕府の感染症対策 なぜ「都市崩壊」を免れたのか--安藤 優一郎/著 -- 集英社 -- 2020.10 -- | 493.80/ 5111/ 2020 7113518909 |
【雑誌記事】
番号 | 論文名 著者 『雑誌名』(出版者)--巻(号)--出版年 掲載ページ | 資料コード |
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1 | 牛痘種痘法奨励の版画について 添川正夫 著 『日本医史学雑誌』(日本医史学会)--30巻1号 --1984.1 p.62-84 | ※都立欠号 |